−どんどろ大師 お弓おつる別れの場− |
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() お弓(右)とおつる・・北小児童 |
どんどろ大師(ポインターを当てると写真が変わります) |
||||||||||
和泉国斑鳩(いかるが)家のお家騒動物をもとに、阿波の十郎兵衛の巷説をとり入れて作られた3幕の時代物で、元禄8年(1695)に京都の早雲座で初めて演じられました。 さて、大阪城近くの空堀町(JR玉造駅西約400m)に善福寺という「どんどろ大師」として名高いお寺があります。大阪夏の陣の戦死者を弔うために建てられたお寺で、今も毎月21日の縁日には多くの人がお参りに訪れます。「どんどろ」というのは、天保のころ、大阪城代で弘法大師への信仰の厚かった土井殿(どいどの)がなまってそう呼ばれるようになったと言われています。 舞台はどんどろ大師の境内です。「右近・左近」に続き「妙天・妙珍」が登場して、妙珍が阿波の十郎兵衛の妻「お弓」を誘うのをころっと忘れていたことで、ちょっとした騒動になります。やがてお弓も出てきて、いろいろ面白いやりとりが展開されます。 それがようやく収まった頃「巡礼にごほうしゃ・・・」と巡礼姿の「おつる」が現れ、再びちょっとした騒ぎが起こります。 妙珍に「そなた、国はどこじゃえ」と聞かれ、おつるは国は阿波の徳島で、かかさんに会いたいゆえ、西国(巡礼)していると、か細い声で答えます。 妙珍「してして、かかさんの名は?」 おつる「アーイー、お弓と申します」と、阿波の鳴門の決めセリフ。 ここで<聞いてびっくり>と浄瑠璃が入り、お弓がその子が徳島に残してきた我が子だと気付くところから、手に汗握る展開になります。 すぐにでも自分が母親だと名乗りたいのですが、子に災難が及ぶと思いそれができません。「野に寝たり、人の軒の下に寝ては叩かれ…」と泣く娘を見て、胸が張り裂ける思いのお弓。そんな彼女を「もしや母親では・・・」と察するをおつるを必死でなだめて行かせのですが・・・。 ここに<ちちははの、恵みも深き、粉河寺・・>のご詠歌が浄瑠璃で入るや、お弓はとうとう堪えきれなくなり、泣きながら娘を追って走り出します。いたいけで、哀れなおつると、我が子を思うお弓の心情に、誰しも思わず涙してしまいます。 この悲しい場面を、妙天・妙珍がコミカルな雰囲気に変え、泣き笑いしている観衆の前に幕が降りていくという演出は、誠に心憎いかぎりです。歌舞伎のみならず人形浄瑠璃でも演じられる名作で、中町北小学校とっておきの外題の一つと言えましょう。 |
|||||||||||
動画とご一緒にお楽しみください。
|
|||||||||||
|
|
|||||||||||