@ 岩座神棚田保存のあゆみ
昭和60年 岩座神で仁王会設立・・・・棚田の保全について協議開始。
平成6年 中山間地域活性化推進事業に取り組み開始。
平成7年 「棚田を守ろう」全国組織設立のため、棚田サミットに参加(高知県檮原町)
ソバ、畑ワサビ、マンネングサの栽培が始まる
平成8年 岩座神棚田保存会を設立、
平成9年 棚田オーナー制度導入(10区画から開始)
平成10年 神戸大学農学部学生などの棚田ボランティアや岩座神老人会と協力してマンネングサの植裁。豊かな村づくり全国表彰で近畿農政局長賞を受賞
平成11年 「日本の棚田100選」に選定。兵庫県景観形成地区に指定
平成9年に始まった棚田オーナー制度は、初年度10組、次年度以降20組を受け入れました。オーナー田は2〜4区画に分けられた7マチで、年間行事予定は次のとおりです。
5月 オーナーさんと田植え

7月下旬 かかしまつり
8月 ソバの種まき
9月 稲刈り

10月 収穫祭『棚田コンサート』


12月 餅つき大会、しめ縄作り

1月 ソバ打ち大会
B 棚田カレンダーの作成
@ 棚田
はるか昔から、人々はこの地を耕し生きるために努力を積み重ねてきました。やがて天に向かって石垣を積むようになり『農のピラミッド』とも呼ばれる棚田を作りあげました。
余りにも急峻な地形と、農地の下に横たわる大きな岩盤のために、ほ場整備をあきらめざるを得ませんでしたが、この土地は生産性の低い土地ではなく、地滑りや洪水から山肌を守り、地下水を養うなど様々な働きを持つことがわかっています。

A マンネングサ
ベンケイソウ科の多年草。花を植えて美しい景観をつくろうと、集落の老人会などが石垣のすき間に芽を植えています。神戸大学農学部の学生ボランティアも植栽を手伝っています。これまでに道路沿いを中心に、約20枚の棚田に2万本ほどの芽を植えました。20aほどの茎の先に、かわいらしい花が鈴なりに咲き、石垣を黄色く染め上げます。見ごろは5月〜6月上旬ごろ。
B 岩座神の七不思議
その1:血石

岩座神の入口道の西側に、多田川の渓流に臨んで巨石があります。上が平らで赤みを帯びていることから血石と呼ばれています。
これは、その昔、直ぐ近くにある神光寺が隆盛を極めていたころ、加古川流域の人々は死者がでると、はるか南方から遺体を運びこの寺に葬ったと言われています。その際、死者はみんな一度この石の上に置いたことから血石と名付けられたと言われています。
また、一説には、死体があまりに重いので、この石の上で四肢を切り離して運んだため、その血でこの石が赤く染まったとも伝えられています。
その2:仁王門のシキミ(しおれシキミ)

神光寺の仁王門前にあるシキミは、午前中は枝葉に勢いがあって光っているのですが、午後になると急に勢いがなくなり光沢もあせてしまうといわれています。

その3:
唐滝
干ばつの際、この滝でウナギを獲ると、必ず雨が降ると伝えられています。また、この滝には大蛇が棲み、1人で足を踏み入れた者は誰1人として無事に帰れないといわれています。
その4:千本杉
神光寺の上の山中にある杉で、木の中ほどから、神のいたずらか
無数に枝分かれし、不思議な木を形作っています。
昭和8年天然記念物に指定
昭和47年3月24日に兵庫県指定文化財に指定されています。
<
那珂ふれあい館HP 「岩座神の杉(千本杉)」>
その5:塔の石

高さ10メートルあまりの巨岩で、塔のようにそそり立っています。『岩座神』という集落の名前もこの岩に由来すると言われています。
また、昔、あまんじゃこが夜中に天まで五つの岩を積もうとして四つまで積んだとき夜が明けたので一つをここに残したのだという説も伝えられています。
その6:雨乞岩
ここで、雨乞踊りをすれば、必ず雨が
降ると伝えられている岩です。

その7:三本竹

常に三本の竹が群がっており、たとえその中の1本が枯死しても、また新しく1本生えて、いつもその数に増減がないのだそうです。
C ホソバタブ
岩座神社の五霊神社の境内に生育しているクスノキ科の常緑高木のことで、通常では胸高幹周りが2.2bになると言われています。
ここのホソバタブの胸高幹周りは、大きいものから順に4.8b、3.84b、3.38bで一番大きなホソバタブは県内最大の巨木です。
平成3年12月24日にこれら樹木3本が郷土記念物に指定されました。
D 五霊神社
文化6年(1809年)9月に創立されたもので、高皇産霊神、神皇産霊神、火産霊神、稚産霊神、津速産霊神を祀っています。
本殿は板葺流造りで、桧皮葺切妻造の幣殿、入母屋造の拝殿もあります。
E 神光寺
高台にひっそりとたたずむ山寺で鳥の声と梢をわたる風の音が森閑とした空気をふるわせています。白雉年間法道仙人の開基にかかり、堂伽藍も多く、坊舎も百余りを持ち、本寺は隆盛を誇ったと伝えられています。
当時は現在の位置よりさらに山中にありましたが、天正の兵乱により廃退。
その後、宝暦年間(1751年〜1764年)明道上人が往寺の末光院を復興して神光寺としました。
信者も多く、遠くは丸亀や出石からも参詣者を集めたといわれていますが、現在は無柱となっています。
本尊は十一面観音立像で、寺から少し離れた段々畑の中に建つ山門には威厳のある金剛力士像が安置されています。
<那珂ふれあい館HP「十一面観音立像」、「金剛力士像」>