施設案内
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 和紙博物館「寿岳文庫」の概要

 和紙研究家の故・寿岳文章先生の蔵書や杉原紙関係の書物などを展示するほか、「語りべのやかた」として町内ボランティアの方々が杉原紙の歴史などを伝えています。
 また、郷土史研究家の故・藤田貞雄先生の蔵書なども展示しています。

オープン 平成12年4月13日(木)午前10時
開館時間 10:00〜16:30
休館日 毎水曜日(水曜日が祝日の場合は、翌日)

 

蔵書数

寿岳先生寄贈分  200冊余り(うち50冊を展示) 

藤田先生寄贈分   20冊余り(すべて展示)

管理  語りべボランティアの皆さん

和紙博物館 展示ギャラリー 出展募集要項

 

 和紙博物館「寿岳文庫」建設にいたるまで

 1300年の歴史と伝統を誇り、かつては日本一とうたわれた天下の名紙「杉原紙」。
 しかし、隆盛を誇っていた杉原紙も大正時代末期に途絶えてしまい、いつしか発祥も不確かな「幻の紙」と呼ばれるようになっていました。
 昭和15年(1940)8月2日、新村出・寿岳文章両博士(いずれも故人)は、杉原紙の原産地調査のため杉原谷村(現在の加美町北部)を訪問。のちに2人は、「杉原紙発祥の地は、播磨の国・杉原谷である」と研究論文を発表。杉原谷の人々に大きな感動を与えました。
 昭和45年(1970)、郷土史研究家の故・藤田貞雄さんが30年の研究成果を『杉原紙 −播磨の紙の歴史』にまとめ、また同年、杉原紙の紙すきが実に半世紀ぶりに復元されました。その2年後に町は町立の製紙施設「杉原紙研究所」を設立し、今日まで紙すきの技術を大切に守り続けています。
 平成8年(1996)、「道の駅・R427かみ」のオープンに合わせ、町立杉原紙研究所を川東に新築移転しました。そのときに、寿岳文章博士のご長女である寿岳章子さん(元京都府立大学教授)を研究所名誉館長に迎えました。そのことがきっかけで、章子さんから「父の蔵書を加美町へ譲ります」とのお言葉をいただき、本を保管する和紙博物館の建設に取りかかりました。
 今日の杉原紙があるのは、寿岳文章先生の永年の調査・研究のおかげであり、文章・章子両先生の杉原紙への強い思い入れがあったからにほかなりません。

 

 展示品紹介

■新村・寿岳両博士が杉原谷へ調査
 昭和15年(1940)8月2日、雲門寺にて。新村出・寿岳文章両博士が、杉原紙の原産地調査のため杉原谷村を訪問。前列左から、杉原谷村長 山口吉五郎氏、雲門寺住職 関卓道師、新村出博士。後列左から、寿岳文章博士、杉原谷小学校長 宮田正夫氏。

■杉原紙発祥の地 記念碑撰文
 昭和41年(1966)、森野一司さんら杉原谷の有志の手で、杉原谷小学校の校庭に「杉原紙発祥の地」記念碑が建立されました。題字は新村出博士、撰文は寿岳文章博士の書。のちに、記念碑は町立杉原紙研究所へ移されました。撰文は藤田貞雄さんが今中喜重郎さんに譲り、今中さんが表具したものです。(寄贈・今中喜重郎さん)

■記念碑撰文に落款を押す寿岳先生
 「杉原紙発祥の地」記念碑の撰文に落款を押す寿岳文章博士。右は井上正康・町立杉原紙研究所所長。平成3年(1991)5月、京都府向日市の「向日庵(こうじつあん)」(寿岳先生のご自宅)で。

■寿岳先生の最期の寄稿文
 寿岳文章さんの最期の寄稿文「杉原紙復元の感動をいつまでも」。杉原紙を特集した加美町広報紙(1991年12月号)への寄稿文で、これが絶筆となりました。晩年の文章さんは白内障で文字を書くことができなかったため、長女の章子さんが病床から口述筆記しました。

■寿岳先生の色紙
 亡くなる直前に寿岳先生が書かれた色紙。杉原谷への想いがこめられています。


 寿岳文章は「書物」あるいは「本」について若いころから大いなる関心を持っていた。内容についてではなく、その形態についてである。美しく堅固で無駄のない、いわゆる「装幀」に関し一家言を有し、かつそれを実践した。最初に昭和4年(1929)『井ルヤム・ブレイク書誌』を刊行する。ついで1933年から私版を刊行した。最終は1947年の 『エマスン書誌』である。その間、世に『向日庵本』といわれる日本で最も美しい見事な本を作り続けた。どの本も全部、しっかりした和紙で作られている。

『紙漉村旅日記』
 昭和12年(1937)から15年にわたって寿岳文章・しづが日本全国の紙漉き産地を調査した記録。夫婦でともに書きつづった旅日記で、フィールドワークの最初のものと目される。これには私版の向日庵本、明治書房刊、春秋社刊とさまざまの刊がある。

『絵本 どんきほうて』
 世界的名作の「どんきほうて」を、日本の作品として作ってほしいとの米国人カール・ケラーの要求で、芹澤_介(けいすけ)が製作した本。向日庵本中、最も有名なすばらしい本である。

『井ルヤム・ブレイク書誌』
 柳宗悦の見事な装幀。昭和4年(1929)に60円という価格の豪華本。

『ブレイクとホ井ットマン』
 柳宗悦と共編で昭和6年(1931)から2年間、刊行された雑誌。全冊用紙は越前産別漉艶無し鳥の子。

『無染の歌』
 ウィリアム・ブレイクのソングイノセンス −汚れを知らぬ歌− 寿岳文章訳詩原本の複製。彩色は寿岳しづ。装幀布地の型染は芹澤_介(けいすけ)。

EASTWARD 『東方へ』
 エドマンド・ブランデン 1949年、及川全三抄紙。製本 鳴子佐一郎、デザイン 寿岳文章。ブランデンの書字の美しさは有名である。全冊印刷ではないブランデンの書体の見事さが、和紙によって一層浮き上がって見える。

EXOTERIC WRITINGS OF WILLIAM BLAKE
 寿岳文章編 ウィリアム・ブレイクの比較的分かりやすい一般向けの詩を選んだもの。

BIBLIOGRAPHY OF EMERSON IN JAPAN エマスン書誌
 寿岳文章は若い時からアメリカの偉大な哲人エマスンに強く心を惹かれていて、エマスンに関する日本での出版書の集約を試みた。昭和22年(1947)に至るまで、227点に及ぶエマスン関係の書物・論文がある。全部和紙で作られた特異な書誌である。


■紙すきの屏風

 芹澤_介(けいすけ)作。寄贈:寿岳章子さん。

■全国の和紙
 昭和12年(1937)から15年(1940)にわたって寿岳文章・しづ夫妻が全国の紙すき産地を調査した際に集められた和紙。

 

 ◆藤田先生寄贈分

■『杉原紙 −播磨の紙の歴史』の原稿
 郷土史研究家の藤田貞雄さんが30年の歳月をかけてまとめた『杉原紙 −播磨の紙の歴史』の原稿。

■藤田貞雄さんの蔵書
 藤田貞雄さんが和紙研究のために集められた蔵書を、ご子息の藤田豊久さんから譲り受けました。

■『杉原紙 −播磨の紙の歴史』
 郷土史研究家の藤田貞雄さんが昭和45年(1970)12月に発刊。30年間の研究成果を1冊にまとめあげました。限定1000部の発行で、県下初の和紙研究書として注目を集め、全国各地の和紙研究家、愛好家からも高い評価を得ました。

■『杉原紙 −播磨の紙の歴史』(再刊本)
 杉原紙のバイブル的文献ともいえる『杉原紙 −播磨の紙の歴史』は、今ではなかなか手に入れることができなくなっていたことから、まちづくりグループ「加美ふるさと塾」が藤田さんのご遺族の許可を得て平成7年(1995)7月に再刊。1冊2000円で杉原紙研究所で販売しています。

 

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