杉原紙の歴史
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奈良時代
(7世紀後半)
多可町加美区の北部、杉原谷で紙を漉き始めたのは、この頃と推定されている。当時の杉原紙は「播磨紙」と呼ばれ、他の地方より進んだ製紙技術で写経用箋などを漉いており、紙の質・生産量からみて日本一の紙であった。
平安時代
中期
杉原谷は藤原摂関家(のち近衛家)の荘園とされ、「椙原庄」と呼ばれた。のちに「椙」の字が「杉」に変わっていった。杉原紙は、主に一束一本の贈答、献上品として使われた。
鎌倉時代 幕府の公用紙に用いられた。
室町時代
中期
広く一般庶民の間でも使われるようになり、杉原紙の名が全国に広まった。杉原紙の需要が増えるにともない、杉原谷だけでは生産が追いつかなくなり、「○○杉原」という名の杉原紙が全国で漉かれるようになった。
江戸時代
中期
浮世絵、版画をはじめ、庶民の日常生活にも広く使われるようになり、この頃の杉原谷の製紙業者は三百軒余りあったといわれてる。
明治時代 産業転換が進み、機械漉きの技術も普及し始め、徐々に手漉き紙業者の数が減少していった。
大正14年 杉原谷での紙漉きの歴史が途絶える。
昭和15年 寿岳文章先生と新村出先生が、杉原紙のルーツを求めて杉原谷を訪れられ、この地が発祥の地であると明確にされる。
昭和41年 「杉原紙発祥之碑」が杉原谷小学校内に立てられる。 井上さん   
昭和45年 郷土史家・藤田貞雄氏が『杉原紙−播磨の紙の歴史』を刊行。宇高弥之助翁をはじめとする紙漉き経験のあるお年寄りを中心に、半世紀ぶりに杉原紙の紙漉きを再現することに成功。
昭和47年 町立杉原紙研究所が設立され、本格的な再興に乗り出す。
昭和58年 「兵庫県重要無形文化財」に指定される。
昭和60年 神戸市で開催された「ユニバーシアード大会」の表彰状として、世界153カ国の若者の手に渡る。
平成 5年 「兵庫県伝統的工芸品」に指定される。
平成 8年 研究所が現在の位置に新築される。
平成12年 和紙博物館「寿岳文庫」オープン。
平成13年 「杉原紙に魅せられた作家展」を開催
平成18年 のじぎく兵庫国体の表彰状として使用される。

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