町の姿
多可町の概要
地勢と位置
 多可町は、平成17年11月1日に旧中町、旧加美町、旧八千代町の3町が合併して誕生した町です。
 兵庫県の東播磨地域の内陸部に位置し、北は丹波市、朝来市、東は丹波市、南は西脇市、 加西市、西は神崎郡神河町、市川町にそれぞれ接しています。
 東西13 q、南北27 q、総面積185.19kuを有し、直線距離で神戸 まで約45 q、大阪まで70 qの距離にあります。
 地勢的には、周囲を中国山地(三国岳、千ヶ峰、笠形山、竜ヶ岳、篠ヶ峰など) の山々に囲まれ、三国岳を源とする杉原川が加美区、中区の中央部を貫流し、笠形山を源とする野間川が八千代区の中央部を南流 して西脇市において県下最長の加古川と合流して瀬戸内海に流れています。
 気候は、瀬戸内気候の影響を受けて穏やかですが、中国山地の背陵地帯として内陸性気候の影響も受け、寒暖の差が比較的大きくなっています。
 交通条件は、西脇市で国道175 号と分岐した国道427 号が多可町中区、加美区を縦断し、八千代区では県道西脇八千代市川線、多可北条線、加美八千代線が通り、中国自動車道滝野社ICや加西ICと接続しています。
 公共交通は、神姫バスの定期路線があり、コミュニティバスの運行も行われています。
土地利用
 本町の総面積は185.19kuで、山林面積が約148 kuで全体の79.9%を占めています。
 中山間地域であるため、平地を十分確保することができず、宅地が2.8%、田畑が8.1%となっています。(面積は、平成27年3月に185.15kuから値が変更になっています)
人口・世帯数
 人  口 : 25,197人
 世帯数 : 7,334戸
  (平成17年11月1日合併時)
多可町自慢
日本一の酒米『山田錦』発祥のまち
日本一の手すき和紙『杉原紙』のまち
『敬老の日』発祥のまち

田園風景が広がる、日本酒で乾杯宣言のまち
 
田園風景が広がる、日本酒で乾杯宣言のまち 多くの田園風景が広がる多可町。中でも加美区岩座神集落には全国でも数少ない石垣のある棚田(日本の棚田百選のひとつ)が残っています。懐かしくも不思議な風景を生かし、平成9年、景観保全と都市住民との交流を目的として県内初の棚田オーナー制度を導入。田植え祭やかかし祭、刈り取り後の田んぼでコンサートなど多くのイベントも行われ、都市との交流が行われています。  
 また、多可町は、日本一の酒造好適米『山田錦』発祥の地(山田錦の母方「山田穂」を発見したのは中区東安田の豪農山田勢三郎翁と言われています)です。現在でも、生産に取り組む農家は多く、収穫された山田錦は全国各地の蔵元へと出荷されています。山田錦が誕生してからちょうど70周年を迎えた平成18年3月5日には、地方自治体として初めて「日本酒で乾杯のまち」を宣言。『山田錦』が生まれた自然と文化を尊び、日本文化に深い関わりを持ってきた日本酒をこよなく愛することを高らかにアピールしました。
日本一の手漉き和紙「杉原紙」
日本一の手漉き和紙「杉原紙」 和紙「杉原紙」の歴史は7世紀後半にまでさかのぼります。奈良時代後半には「播磨紙」として登場し、江戸時代には杉原谷だけでは生産が追いつかなくなったといわれています。鎌倉時代には幕府の公用紙に用いられ、室町時代中期からは、広く一般の庶民にも使われるようになり、その名は全国に広まりました。江戸時代半ばには、浮世絵、版画を始め庶民の日常生活にも広く使われるようになります。 その後、明治時代、産業転換が進み機械すきの技術が普及したため、大正14年一時は紙すきは途絶えてしまいます。しかし、杉原紙の美しさを後世に残そうと昭和47年に町営(旧加美町)杉原紙研究所を設立し、伝統復活に成功したのです。のじぎく兵庫国体でも賞状に使われました。
「敬老の日」発祥の町
「敬老の日」発祥の町  多可町は「敬老の日」発祥の町です。高さ約2bの石碑が現在も八千代公民館の玄関脇にあり、前面には「敬老の日提唱の地」と彫り込まれています。戦後の動乱期、野間谷村(旧八千代町)で初めて村主催の敬老会を開催し、長い間社会に貢献されてきたお年寄りに敬意を表すとともに、知識や人生経験を伝授してもらう場を設けました。そして、9月15日を「としよりの日」と定め、村独自の祝日とすることにしました。その後、昭和41年、「敬老の日」は体育の日などとともに国民の祝日に加えられたのです。多可町ではこの敬老の精神をこれからも大切に受け継いでいきます。